KDJ

2013年1月からほぼ毎日、夜が明けはじめてから日が昇るまでの間に撮影したものです。朝の時間帯にこだわって撮影しているのは、今の石巻の街が震災の暗闇から復旧が進み、少しずつ明るさを取り戻しつつある状況が、夜から朝へと変わる時間帯と同じように感じられるからです。

 

夜から朝に変わる一瞬、黒い闇は日の光によって青へと変化していきます。古くから日本では青い大きな海を『母なる海』と母に例えます。同じようにネイティブアメリカンの世界では青く広大な空を『父なる空』と父に例えるそうです。『父と母』、青は新しい命を生み出す力の色なのです。

 

一日のはじまりの青い空気の中、変わる事無く続く自然の営みと、それでもそこに生きると決めた人たちの営みが、明るくなるにつれ次第に動き出していくように感じるのです。これらの写真から新しい命の鼓動を感じていただけたらうれしいです。

 


2014/03/29 北上町十三浜大指
それでも海に生きる人たちがいる。毎朝、日の出前から多くの船が海に駆け出していく。
わかめや牡蠣、ホタテなどの養殖業は震災前の規模に復旧しつつあるが、この間の販路喪失、風評被害など、この先の道が明るく照らされているわけではない。

 


2014/04/02 北上川河口付近
津波はこの川を遡上し、上流の集落にも大きな被害をもたらした。自然は時に厳しい姿をみせる。しかし同時に、美しい一瞬がそこにはあり続けている。

 


2014/04/25 北上川
茅葺き屋根の材料として使われる葦。北上川河口周辺は葦の群生地であったが、地盤沈下などによりその多くは消失してしまった。葦原は里山同様に人の手によってその形を保つ。
残された葦原を守るため、今年も野焼きが行われる。

 


2014/04/27 河北町福地
高台移転や地盤をかさ上げする為の土砂を確保するために至る所で山が崩されている。そこに当たり前にあった風景が変化していく。

 


2014/05/03 湊第2小学校 湊中学校
津波の直撃を受け大きな被害を受けたものの、多くの市民が身を寄せ避難所となっていた湊中学校。2014年4月、改修工事を終え再開したものの、多くの児童は学区外の仮設住宅から通っている。隣にある湊第2小学校はほかの小学校と統合されその役目を終えた。

 


2014/05/10 渡波 根岸地区
災害公営住宅建設の為、造成工事が進められている根岸地区。もともと田んぼが多かったので水はけが悪く、排水作業をしながらの工事、スピードは速くない。石巻市で建設される災害公営住宅は4000戸計画されているが、完成し入居が始まっている戸数はいまだ二桁にとどまる。

 


2014/05/16 立町
石巻市の公園の多くは仮設住宅や海に沈める為のテトラポットを造る場所として姿を変えてしましい、子供たちが遊べる場所が少ない。「なければつくればいい」町の有志で造り上げたスケボーパーク。毎日子供たちの笑い声があふれている。

 

 


2014/05/17 新北上大橋
津波によって橋の西側が破壊され流れ落ちた新北上大橋。その復旧工事がようやく始まる。

 


2014/05/19
その昔、石巻初の百貨店として建てられた観慶丸商店。津波を被りつつも流失せずにこの建物の中に残っていた陶器たちが、改修工事費を呼びかける為に表に並べられている。

 


2014/06/05 中瀬
旧北上川に浮かぶ中瀬に港があり、たくさんの物が集まり、石巻で一番の賑わいを見せていた時代があった。震災前まではその面影を残していたが、いまは見る事ができない。自然の営みだけが変わらずそこにはある。

 


2014/06/13 立町大通り
かつて石巻のメインストリートとして賑わいをみせていた立町大通り。この大通りの歩道にかかっているアーケードの取り壊しが8月から始まる。この商店街は震災前からシャッターを下ろす店が多かった。こらから新しい商店街の形を模索していく事になる。

 


2014/06/14 桃浦
牡蠣養殖が盛んな桃浦。養殖施設の復旧は急ピッチで進められ、牡蠣の出荷も再開されているが人が住める場所はいまだ殆どない。高台移転の為の造成工事が進められている。

 

 

 


2014/06/15 南浜町
この場所には街があった。今もわずかにその面影が残る。危険区域に指定され、新しい家を建てる事ができなくなってしまった為に、ある時期から時が止まってしまったように見える。いずれ祈念公園が造られる事になっている。

 

 


2014/06/16 雲雀野
当初、石巻市の100年分のゴミの量とも言われた震災廃棄物も昨年末でその処理を終えた。しかし、海の中などまだ完全に無くなったわけではない。
この場所で昼夜問わず24時間体制で処理し続けていた震災廃棄物処理施設はその役目を終えたということで解体され姿を消した。

 


2014/06/20 南浜町
道路と信号機は復旧した。だが、この信号機が赤や青に点灯する事はない。この町に住んでいる人がいないからだ。この道を挟んで海側(右)は危険区域に指定され、住む為の新しい建物を建てる事を禁じられている。

 


2014/06/21 水明町
対岸の堰の向こうは田畑が広がっている。直接的な津波の被害は免れたが、地盤沈下による影響から大雨などにより畑が冠水してしまうこともある。目に見えないところでいまだ影響が残っている。

 

 


2014/06/23 日和山公園
震災当時この山に多くの人が避難し一夜を過ごした。今は石巻を訪れる多くの人がこの場所に立ち、祈りを捧げている。

 


雄勝(ローズファクトリーガーデン)
この場所は僕がボランティアとして石巻に来たその日にはじめて津波の被害を目の当たりにした場所でもあります。

 


プロフィール
鈴木省一/ Shoichi Suzuki
写真家
宮城県石巻市在住

 

1996 大学入学と同時に写真部に入部
2001 松濤スタジオ入社
2003 渞忠之(みなもと・ただゆき)に師事
2006 独立
2011年3月11日
その日まで僕は石巻がどこにあるのかさえ知らなかった。

 

2011年4月9日
ボランティアとしてはじめて石巻を訪れた時、一眼レフは持ってきていなかった。持っていたのはiPhoneとキーホルダーに付いていたトイカメラだけ。
その日はじめて見た石巻の風景は、小雨が舞う音のない世界だった。

 

2011年4月10日
早朝に市街地に向けて歩いた。雨は上がっていた。
市街地に入る前の橋の上で、石巻に来てはじめて太陽を見た。
昨日の暗い雰囲気と寒さを吹き飛ばす力強い日差しが、
橋のたもとにある一件の居酒屋に降り注いでいた。
その店の屋根に掲げられた看板には
『春が来た』
その文字を見たとたんに涙があふれてきた。

 

 

寒い冬もやがて暖かい春が来る
どんなにひどい状況でも、これから良くなっていくんだ。
そうおもうと、涙が止まらなかった。

 

2011年5月
地元に戻りカメラを持ってくる

 

その後、様々な活動を続けながら、石巻の今を撮り続けている。